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2017年(平成29年)5月、四国から九州一周の旅! HOME


この旅で、沖縄を除く47度道府県キャンピングカーで完全宿泊制覇!全8ページ

 ・・・ 5P ・・・  5月21日(日曜日)〜23日(火曜日)迄、

★彡=- MAP -
平成29年5月、四国から九州一周の旅:宿泊地 MAP
08日(月)東京発⇒ 東名⇒ 新東名⇒ 新名神⇒ 明石海峡大橋⇒ ハイウエイオアシス淡路島(泊)
★彡=- 1P ‐
09日(火)うず潮クルーズ船遊覧⇒ 徳島 眉山⇒ うだつの町並⇒ ハイウエイオアシス吉野川(泊)
10日(水)大歩危小歩危⇒ 祖谷のかずら橋⇒ 早明浦ダム⇒ 道の駅かわうその里(泊)
11日(木)高知⇒ 四万十川遊覧船下り⇒ 宿毛〜フェリー〜佐伯⇒ 道の駅やよい(泊)
★彡=- 2 ‐
12日(金)石仏・原尻の滝観光⇒ 岡城址⇒ 竹田⇒ 道の駅阿蘇(泊)
13日(土)阿蘇神社⇒ 内牧温泉⇒ 草千里⇒ 高千穂観光⇒ 道の駅日向(泊)
14日(日)青島⇒ 日向⇒ 鵜戸神宮⇒ 飫肥城址⇒ 都井岬⇒ 道の駅くにの松原(泊)
★彡=- 3P ‐
15日(月)志布志⇒ 鹿屋航空記念館見学⇒ 佐多岬⇒ 桜島⇒ 道の駅垂水(泊)
16日(火)霧島町蒸留所⇒ 霧島神宮⇒ えびの高原⇒ 鹿児島⇒ 仙厳園見学⇒ 道の駅喜入(泊)
17日(水)知覧観光⇒ 指宿⇒ 池田湖⇒ 開聞岳⇒ 指宿・砂むし会館入浴⇒ 道の駅指宿(泊)
★彡=- 4P ‐
18日(木)釜蓋神社⇒ 坊津・賢島⇒ 黒瀬杜氏の郷⇒ 吹上浜・砂の彫刻⇒ 吹上公園(泊)
19日(金)市来⇒ 樋脇⇒ だんだん市場⇒ 長島周遊⇒ 曽木温泉⇒ RVいさ曽木の滝(泊)
20日(土)人吉観光⇒ 球磨川下り⇒ 天草五橋⇒ 上島下島周遊⇒ 道の駅有明(泊)
★彡=- 5P ‐
21日(日)通詞島⇒ 富岡城址⇒ 大江教会⇒ 牛浦⇒ 道の駅不知火温泉センター(泊)
22日(月)熊本市内観光⇒ 宮本武蔵⇒ 雲仙温泉⇒ 道の駅みずなし本陣ふかえ(泊)
23日(火)島原城址・武家屋敷⇒ 軍艦島⇒ 野母崎⇒ なごみSPA⇒ 道の駅長崎街道(泊)
★彡=- 6P ‐
24日(水)午前中・長崎市内観光⇒ 有田伊万里焼資料館⇒ RVパーク有田温泉(泊)
25日(木)午前中・ハウステンボス⇒ 平戸島⇒松浦⇒  伊万里温泉⇒ 道の駅伊万里(泊)
26日(金)鷹ら島⇒ 名護屋城⇒ 呼子⇒ 立神岩⇒ 唐津城址⇒ 道の駅厳木(泊)
★彡=- 7P ‐
27日(土)吉野ケ里遺跡⇒ 太宰府天満宮⇒ 宮地嶽神社⇒ 宗像大社⇒ 道の駅:西の市(泊)
28日(日)終日高速道路移動⇒ 刈谷ハイウエイオアシス⇒ 新東名:長篠設樂原PA(泊)
29日(月)同発 ⇒ 中伊豆(泊)
30日(火)〜31日(水)同発 ⇒ 東京の自宅着
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2017年(平成29年)5月21日(日曜日)の、くるま旅レポート HOME


AM09:00 快晴 ⇒ 本日も天草観光で、先ずは「通詞島」からです。

本日の旅のルートは、先ず、ループ橋になっている天草瀬戸大橋を通って下島に渡り、天草市役所や空港のある街中を抜けて反時計回りに島を巡ろうという計画です。

上の写真は、下島の北部にある「通詞島」ですが、沖合の早崎瀬戸には約200頭の野生のミナミハンドウイルカが生息している(地元の人は、住み着いている?という!)そうです。
橋を渡り、島の最高地点に近い所に「人工温泉:ユメール」があります。この温泉施設の屋上からイルカ達の群れが見えるというので、早速行ってみましたが、本日は遠くの良く見える我が老眼でもお目にかかることはできませんでした。
続いてこちらが「通詞島」の最高地点にあるという「五和歴史民俗資料館」へ!苦手な山登りです。

帰り道、狭いところで懐かしいロディオ乗りのキャンパーと手を振ってスライドしましたが、上の資料館まで行ったのかな?
こちらの資料館には迫力ある実物大のイルカの骨格標本をはじめ、縄文時代の沖の原貝塚の出土品、土器による製塩を再現した製塩装置、江戸時代の漁具、生活用品、などが展示されてます。
また、資料館のすぐ横にはエイに乗ってこの「通詞島」へ来られたという弁天様の祀られた「三天宮」があり、お詣りの後、その横の道を登って行くと、この島の最高地点に出られます。


AM09:40 快晴 ⇒ 続いてやって来たのは、こちらも素晴らしい眺望の「富岡城」です。

「通詞島」から車で数分の距離に、こちらは陸続きの小山の岬、苓北(れいほく)町の富岡という所があります。

この岬には、富岡城、富岡港、四季咲岬公園、白岩崎キャンプ場、海水浴場などがあり、中でも「熊本県富岡ビジターセンター」は、「NHKのナンチャラという自転車に乗ったおじさんの団体が撮影に来た!」と言って、自慢してました。
先ずはその「富岡城」に行ってみようと思いますが、お城を見上げる下の駐車場からだとかなり距離がありそうなので、行ける所まで車で登ってみることにします。
まっ、これが正解!で、二の丸辺りだと思いますが、ビジターセンター迄はもう目と鼻の先でした。ここからなら、我が家の花菜婆ぁちゃんもバギーに乗って同行出来そうです。

おっ、お代官様〜!

鈴木重成公です。

富岡城の解説では・・・
当初天草を統治していた寺沢氏が、島原天草一揆(天草の乱:1637〜1638)で、一揆軍から攻撃を受け没し、この一揆の後を受けた山崎氏が大規模な修理と改築を行って、現在の富岡城の形が出来たと云われてます。
山崎氏の後に天草は天領となり、代官鈴木氏の時代を経て、次の戸田伊賀守忠昌の時代に再び破壊され、再び天領となる。天領時代は、三の丸に代官所が置かれ、天草の行政の中心となっていた。
平成6年に発掘調査が始まり、17年に富岡城の本丸跡に「熊本県富岡ビジターセンター」が整備完成しました。雲仙天草国立公園の紹介と共に天草地方の自然、歴史、文化などについての情報を発信し、城域では更に、櫓や高麗門などを整備して当時の富岡城が蘇りつつあるという。
ここからは360度見渡せる展望が開け、攻め処は一本しかありません。「ここにお城を築き上げたい!」と思う、お殿様の気持ちが良く分かりますね。

変な眼鏡をかけているは施設の中にある3Dシアターで、上の写真はその「熊本県富岡ビジターセンター」の中の様子です。
映像や展示はこの天草の海とかのお話が多く、富岡城とか歴史にはあまり関係無い展示なのが、チョイと残念!
左上の写真は元本丸があったという「熊本県富岡ビジターセンター」です。前の広場からの眺めですが、高台なので、かなり眺めはいいです。
しかし、今日は日曜日だというのに観光客の姿はまばらで、まるで貸し切りの様に見学出来ました。施設のスタッフの人は数人でしたが、これでは大赤字でしょうね。有難うございました。


AM11:30 晴れ ⇒「大江天主堂」「天草ロザリオ館」です。

「富岡城」から国道番号が389号となったルートは、「天草西海岸サンセットライン」となっている。
どこかの観光地のパンフレットに出てきそうな感じのする南国風の花壇や庭に囲まれた丘の上に立つ「大江天主堂」は、ロマネスク様式の白亜の美しい天主堂(内部撮影禁止)で、チョッとヨーロッパに来たのではという様な錯覚に陥ります。
現在のこの「大江天主堂」は、昭和8年に「ルドビコ・ガニエル」という神父が私財を投げ打って建てたものだそうで、その後ルドビコ・ガニエル神父は一生をこの地に捧げ、生涯を終えたそうです。

青い空に映える「大江天主堂」

モデルが最悪ですが絵になります。

島原の乱で全滅したと思われていたキリシタン達は、この大江地区で隠れキリシタンとして潜伏しながら300年間もの長い間、信仰を守り続けたそうです。
ここ「天草ロザリオ館」では、その方達が潜伏しながら信仰を守るための様々な工夫や道具が展示されてますし、その生い立ちや成り立ちを15分ぐらいの3D映像としても、分かり易く紹介しています。
上右の写真は、ロザリオ館前の食堂で食べた店主自慢の「豚丼」です。美味しかったです。…(^_^)V
崎津の港に立つ「カトリック崎津教会」は、フランス人宣教師ハルブ神父の時代に再建され、その建てられた土地は過去に弾圧の象徴である踏み絵が行われた場所なんだそうです。
正面はコンクリートですが後方は木造という珍しいゴシック様式の昭和9年の建物で、荘厳な雰囲気の内部は畳が敷かれ、和洋折衷の不思議な空間です。


PM13:00 晴れ ⇒ せっかくですから、突端の「下須島(げすしま)」に渡ります。

地図をご覧頂くとお分かりの様に旅のルートはここでもう行き止まりです。
こんな車でウロウロしていると、観光地ではない島の人には迷惑かもしれないですね。
ですが、私の人生も残り少なくなっており、この地には多分もう、二度と来れないと思います。橋が架かっているなら陸続きですから、とりあえず行ける所まで行っておかないと、気が済みませんし、悔いが残ってしまいます。
下島の突端にある「下須島」に渡り、素晴らしい景色を見終わってしまうと、旅のルートは折り返しです。もうこの先はもう下島まで戻ってフェリーに乗らないと行かれません、。
多分この地にはもう二度と来るチャンスは無いと思いますが、この島に渡る時に通った橋は、実に珍しいんです。この土地ならではの独特な事情で設計されたのだと思いますが、なんと橋の上に交差点があります。
我が家の近くて言えば、ちょうど美女木のジャンクションの様な形状です。高速道路と同じ様な高度な建築技術で出来てますが、景観を含めてお見事!という他ありません。


PM15:00 晴れ ⇒ ここらでぐるりと反転です。

観光地図を見ても、ネットを検索しても、下島の東側はあまり見るところは無い様ですので、島の中央を通る国道266号で上島迄戻ろうと思います。
上島も折り返しは、昨日通らなかった「松島有明道路」を使って一気に時間を稼ぎたいと思います。


PM16:00 曇り ⇒ 本日は、不知火温泉センター「道の駅:不知火」に、お世話になります。

松島町合津の料金所を出ると、再び天草五橋のパールラインを行きます。三角港に戻れば本日お世話になる予定の「道の駅:不知火」は、もう一息!目と鼻の先です。

車中泊の評判をネットで見ると、この「道の駅:不知火」は国道沿いの立地のため、騒音で減点されていて、あまり評価が良くなく、車中泊するなら「道の駅:有明」の方を勧める人が多い。
しかし、旅はその日何処を観光して来たか?、夕方の時間帯に何処に居るかによって車中泊する場所は決まってしまうので、私は大量に眠り薬を効かせますので、あまり騒音に拘りません。
私の拘るのは、直すのが面倒なので駐車場の傾斜が穏やかなこと、それに併設又は徒歩圏内に温泉がある事でしょうか。あまりに寂しすぎたり、墓地の近くなど不気味な所もダメです。
という訳で、この「道の駅:不知火」に面白いシステムがあったので、ご紹介します。
それは、温泉に入った後に利用するいわゆるお座敷です。まっ、普通はレストランや食堂が横にあり、色々あるメニューから選んだ物を頂く訳ですね。
ここでも、この生ビールやタコの唐揚げは隣の調理場で調理してくれるので、普通と変わらないんですが、隣接する道の駅の産直市場で買ってきた食材をここでは自由に持ち込んで食べていいんです。
右上の写真、カミさんが閉店時間が来て見切品りになった安売り半値の刺身の盛り合わせを買ってテーブルまで持って来ましたが、これで¥350円です。
本日の走行距離は、156キロでした。 「道の駅:不知火」 私の評価は100点!の ☆☆☆☆☆ です。
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2017年(平成29年)5月22日(月曜日)の、くるま旅レポート HOME


AM08:00 雲一つ無いドピーカンの快晴〜! ⇒ 本日は熊本向け!「道の駅:不知火」を出発です。

前のページに書いた様に、国道を通る車の音は殆んど気にならなかったんですが、いつの間にやら?まるでお友達の様に隣のスペースに来ていたディーゼルエンジンのキャンカー乗りの人が、駐車完了後になかなかエンジンを切ってくれないので、煩いやら排ガスが臭いやらで、その方が気になって仕方がなかった。

昨晩も湯上りに不知火海で捕れた新鮮なお魚を頂きましたが、この道の駅の売りは「デコポン発祥の地」の看板を背負ってますからナンと言っても柑橘類です。
その名の通り!直売所には柑橘系の果物が豊富にあり、カミさんは名物のデコポンを数個買い求めた様ですが、それらを使ったワインやリキュールも東京ではなかなか手に入らない珍しいものでした。


AM09:00 快晴 ⇒「道の駅:不知火」から約1時間で熊本の市内に入ってきました。

本日は先ず、先の地震で大きな被害を受けてしまったという「熊本城」を目指し、「道の駅:不知火」から国道266号を東へ向かいます。
今日もルート案内はスマホに任せてますが、熊本の市内へは、九州新幹線とJR九州の鹿児島本線を超えたら左折して、国道3号線に入るのが最短距離の様ですね。
しかし、今日は月曜日!加勢川、天明新川を過ぎた辺りからいわゆる通勤ラッシュに巻き込まれてしまった様で、スマホのナビは国道57号・熊本東バイパス方面へ交差する近見の交差点を右折する様に指示してます。
一見遠回りの様ですが、スマホがそういうならと、指示されるまま進むことにします。スマホの案内は正確で、間もなく「熊本城」に突き当りましたが、街の中には震災の被害が残っている住宅やビルもまだまだありました。
お城の被害状況が良く分かりませんので、見学が出来るのかどうか心配ですが、先ずは反時計回りに駐車場を探しながら、お城の周りを一周回ってみることにします。

市内を走っていた時も、多かれ少なかれ被害の様子は目にしましたが、写真をご覧頂いただけでお分かりになる様に長い歴史の風雪に耐えた「熊本城」が、ここまで酷いことになっているとはニュースや報道では見たり聞いたりしていましたが、実際に目の前で見てみると、大違い!です。
とても信じられない状況で、まるでこのお城に爆撃が有ったかの様に、このお城の地下が震源地だったかの様に、ボコボコにやられてます。

それでも、あちらの道や、こちらの施設と、規制しながらではありますが、遠景からお城は見学出来るようになってます。
歩いている途中で工事関係の人の話を聞くチャンスがありましたが、まだ工事の先行きを判断するのは難しく、全ての石垣を元通りの位置に組み直したり、階数を一段減らしたりと、復興・修復の方向は徐々にですが、見えて来ている様です。
本日駐車場をお借りした「加藤神社」の清正公にご挨拶して、早期の復興と工事の安全を願い、「熊本城」を後にします。
熊本に来たら、是非キャンプ仲間のみんなに辛子蓮根を送ってあげたいと思っていたので、地元の人においしいお店を教えて貰いました。
「辛子レンコンはここが一番!」と、紹介されて、お城脇の「村上レンコン店」に行ったんですが、このお店は場所が悪いですね。

市電も通っている交差点の角にお店があり、店の前に車を止めようとすると、そこは交差点の真っ只中で、近所に目を凝らしましたが、駐車場は無い様です。
「申し訳ない。まっ、ネットでも買えるから宜しくね〜!」という事で今回はパスし、熊本の市内を後にします。


AM10:00 晴れ ⇒「熊本城」を後にして、大好きな「宮本武蔵」に逢いに来ました。

「熊本城」から約40分、金峰山西側の険しい山の中腹に晩年の武蔵が籠ったと云われている「霊巌洞」があります。そういう場所ですから、そこへ至る道もそれなりに険しいです。
「宮本武蔵」は実在の人物で、朝日新聞に連載されていたという吉川英治の原作による「宮本武蔵」がドラマや映画化され、その強さの伝説を作り上げましたが、私も若い頃は夢中になって読んだものでした。

私も一人のファンとして「宮本武蔵」のことを少し紹介しておくと、生まれは江戸時代の初期の1584年播磨の国の宮本村という所でした。
その後、幾多の戦いを経て1645年に晩年を過ごした肥後の国で没し、その闘いの生涯は62歳で終えたと云われ、皆さんも、一度は映画やドラマやをご覧になった事と思います。

思い出すだけでも三船敏郎、中村錦之助、高倉健、高橋英樹、木村拓哉など多彩な人が主演していますし、お通役の女優さんも同じ様に話題になってますね。
「宮本武蔵の終焉の地」と云われているこの「岩戸の里公園」は、座禅をした場所、鍛錬をした場所、五輪の書を編纂した場所など、武蔵の滞在した足跡をそのまま保存し公開しているもので、宮本武蔵ファンの人は、是非一度訪れてみたい場所でしょう。

書や絵画等々の展示物は
少ないですが一応あります。

「宮本武蔵」が晩年、この地に籠って「五輪の書」を書いたと云われている霊巌洞は、曹洞宗「雲巌禅寺」の境内にあり、拝観料を払わないと中に入れません。
入り口から入ると、展示の数は少ないが、上の写真の様な武蔵ゆかりの品が展示されている。

何故か、五百羅漢さん達が
可愛い笑顔で出迎えてくれます。

崖に寄り添うように立っている「雲巌禅寺」の境内や「岩戸の里公園」は、アップダウンがキツイ!、今でこそ歩きやすく整備されているが、情けない話ですが駐車場に車を置いてここまで来ると、結構息が切れます。



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生涯負けた事が無いという武蔵ですが、戦いに明け暮れていたのは30歳位までで、その後50歳位までの消息は良く分かっていない。
その後、57歳になった武蔵を客分待遇で迎えた細川公は、その後一年足らずで急逝してしまいますが、失意の武蔵はその後、書画、彫刻、禅に没頭する様になったといわれています。
その後、心身鍛錬のためにたびたび訪れていたこの霊巌洞に居を移し、この地で五輪の書などの編纂を終えると、死後も藩主の参勤する列を見守りたいと言い残して62歳の生涯を閉じたと云われてます。


PM12:00 晴れ ⇒ 午後からは、玉名市・荒尾市・大牟田市・佐賀市と走り抜け、雲仙に向います。

途中、景色の良い丘の上に道路を挟んでコンビニとコインランドリーが向かい合って有ったので、ここで昼食タイムです。

居眠りする事に飽きた助手席の人は、暇だとみえて沿道の珍しい風景を撮影してました。有明沿岸を行く国道501号線は、大牟田市から国道208号線となり、更に佐賀市に入ると207と番号を変えます。


PM16:00 晴れ ⇒ 海に浮かぶ火の山、雲仙の山々が目に入ってきました。

佐賀県の鹿島市に入ってくると、正面に雲仙の山々が見えてきました。
ここが、テレビのニュースで時々話題に上る、約8キロの諫早湾を突っ切る潮受け堤防上に造られた直線道路「雲仙多良シーライン」通称:ギロチンロードです。


PM16:20 晴れ ⇒ これから「海に浮かぶ火の山の大地」雲仙岳へ山登り!です。

旅のルートは島原半島に渡り、ここから周回道路の国道251号線を時計回りに回ろうと思います。
島原では、お城や武家屋敷の見学と雲仙の地獄温泉が待っている。しかし、この時間から全ての観光は無理なので、残りは明日のお楽しみ、本日はどちらかにしなければなりません。
島原の城下町の見学よりも、温泉に入りたい気持ちの方が勝り、これから山登りすることに決定です。

「雲仙温泉」へと登る道は東西南北それぞれに何本もあり、その道を横につなぐ鉢巻き道路も数多くあります。
しかし、その標高700m と云われている雲仙の温泉地まで、我が家の車で一気に登るのはチョッと気が重いですね〜!…(^_-)-☆
暫く地図と睨めっこして山登りに選んだ道は、10キロ程周回道路の国道251号線を時計回りに回り、有明フェリーの多比良港の所、島原鉄道線:多比良駅辺りから登る国道389号線です。
この道は、魚洗川に沿って中腹辺りまで直線的に登って行くルートで、カーブが連続して来るまではナンとかスムースに登ってきた。
しかし、キツイカーブで一旦ブレーキを踏んでしまうと、落ちたスピードを上げるのは困難になってしまいます。1速2速を繰り返すこと15分、仁田峠の「池ノ原園地」にやって来ました。

ここの駐車場に車を止めて運転手もキャンカーも小休止ですが、数十台止められる駐車場には誰も居ません。
公園は、トイレを見ればキチンと手入れがされているのが良く分かりますが、ウォシュレット付きの綺麗なトイレもあり、こういう所でキャンプしたくなりますが、カミさんは寂しすぎて嫌だと言います。私もその意見に賛成です。
写真でお分かりの様に、この園地では現在、「ミヤマキリシマ」という低木のツツジの一種が今が盛り!と見事に咲き誇ってます。先日、夕日が綺麗だった天草の「道の駅:有明」で知り合った練馬から来ていた自称絵描きさんだというご夫婦が、この道を通って来たらしく、「雲仙のツツジは綺麗だったよ〜!」って、言っていたのを思い出した。


PM17:00 ⇒ 本日の温泉は、「雲仙小地獄温泉」です。

珍しく先程からスマホをいじっていたカミさんが、検索してこの「雲仙小地獄温泉」を見つけてくれました。

この共同浴場は、メインの雲仙の温泉街から少し離れていますので、場所を見つけるのが大変でした。駐車場が狭いので、大型のキャンカーは少し無理かも知れません。
この「雲仙小地獄温泉」の歴史は古く、享保十六年(1731年)に開かれたと云いますから、今から286年前の事で、吉田松陰も湯治に訪れたという歴史のある温泉なんだそうです。
元々の共同浴場は大正八年に建造されたのだそうですが、建て直された現在の温泉施設は当初、国民宿舎:青雲荘の外湯として建てられたもので、おしゃれでとてもいいデザインです。

入浴料金は¥400円、源泉は、70〜90度の硫化水素泉で雲仙で唯一の白濁した濁り湯だそうです。浴槽のお湯は40〜45度にしているそうですが、二つある浴槽の内の一つはかなり熱くてとても入れません。
右上の写真の一日440トンという噴出量を誇る温泉は、温泉の場のすぐ裏にある湯畑から直接引いていて、循環させてない天然温泉源泉かけ流しの温泉です。
その効能は、内科から外科、婦人病から美容までいわゆる万病に効く?というやつですが、カミさんが久々にヒットです。日帰り温泉が数ある雲仙で、偶然にも素晴らしい温泉に巡り合いました。
温泉を出た後も、硫黄温泉独特の硫黄の強烈な臭いが体からしてきますが、体の芯が温まっているためか、スッキリ爽やかで、不思議なことに他の温泉の様にいつまでも体が熱くてしょうがない!という事がありません。


PM19:00 晴れ ⇒ 今夜のお宿は、「道の駅:みずなし本陣ふかえ」です。

大当たりの素晴らしい温泉を堪能した後、温泉地内を探しましたが、先程の仁田峠の池ノ原園地以外に雲仙には適当な車中泊ポイントが見つかりませんでしたので、一旦、山を下りてる事にしました。
普賢岳の噴火による土石流災害の爪痕を保存した「土石流災害家屋保存公園」に隣接して「道の駅:みずなし本陣ふかえ」がありますので、そちらに向かいます。
丁度道の駅の向かいの商店がまだ開いてましたので、夕食の食材も買い足しする事が出来ました。
駐車場も広くてゆっくり休めそうなので、ここにひと晩お世話になります。本日の走行距離は、212キロでした。
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2017年(平成29年)5月23日(火曜日)の、くるま旅レポート HOME


AM07:00 本日も、ドピーカンの快晴です。⇒ お天気が続きますね〜!今日は島原観光です。

夕べ、この道の駅に到着した時は既に周囲は暗く、周囲の状況が良く分からないままキャンプインしてしまったので、朝起きてこの景色にビックリです。
普賢岳のふもとに位置している「道の駅:みずなし本陣ふかえ」は、平成新山を真正面から望めます。


AM08:20 快晴 ⇒ 先ずは「島原城」から、観光スタートです。

これでも朝食後ゆっくりしてから来たつもりですが、あまりの近さに驚きました。
江戸時代初期に七年の歳月をかけて築城されたという「島原城」、昭和に復元されたお城内部の見学は9時からだというので、先ずはお城の外を一回りし庭や櫓を見学します。

こちらのお城も明治の廃藩置県で解体されて石垣だけになってしまいましたが、現在の島原城は、昭和35年から復元工事が始まり、西櫓、天守、最後に昭和47年巽櫓が復元したそうです。
天守内は資料館となっており、撮影は禁止ですがキリシタン資料、郷土史資料、民族資料、普賢岳の災害資料などが展示紹介されてます。
そろそろ耐震補強を検討しないと、余計なお世話ですが、危ないんでは…(^_-)-☆


AM09:30 快晴 ⇒ 島原の武家屋敷街を見学します。

こちらの武家屋敷は、城内上級武士の館とは違い、当時690戸あったという70石以下の扶持取りの下級武士の屋敷の一部で、一軒の敷地の広さは70坪、建坪は25坪と決まっていたそうです。
こちらの駐車場は狭いですし、近所の道路も狭いところが多いですから、大型の方は遠慮した方がいいです。

ここは、松平家七万石の城下町ですが、当時の面影を最も残している、山本邸、篠塚邸、島田邸の三つの屋敷が現在一般公開されてます。
街並みには現在、その武家の何代目かの子孫から、関係の無い一般の人まで住んでいるんでしょう。

中には車庫を備えた立派な現代建築に建て替えている家もあります。両側の武家屋敷を挟んで中央に水路が流れ、地元の人が犬の散歩の途中水路の水を犬に呑ませていたのが印象に残ってます。
上の写真は、市役所でやっているという甘味処で、名物の「かんざらし」と、ところてんです。


AM10:30 快晴 ⇒ ここは、「がまだすドーム:雲仙岳災害記念館」です。

島原の武家の時代から、タイムマシンに乗って一気に現代へとやって来ました。
ここは、「がまだすドーム:雲仙岳災害記念館」という1990年に始まった「普賢岳の平成噴火」から、6年後にその噴火の終息宣言が出されるまで、この地で何が起きてその後どうなったのか!自然災害の驚異と教訓を正確に後世へ残すために設立されたそうです。
この辺り一帯は埋め立て地でしょうか、多目的広場や色々なスポーツ施設、グランドやアリーナもあります。

こちらでは、大迫力のドーム型スクリーンと、動く床や温風が吹き出す装置などを使い、火砕流や土石流を疑似体験できる「平成大噴火シアター」をはじめ、火山や防災について11のゾーンに分けて展示しています。
映像を見たり聞いたり、ジープに乗ったり、色々な展示物に触れて災害のその時をリアルに体験できる日本で唯一の「火山体験ミュージアム」でしょう。
聞いてびっくりですが、この場所は噴火前は海で、坂本龍馬の像の立つ運動公園やミュージアムなど全ての施設はその埋め立て地の上に立っているそうです。


PM12:30 晴れ ⇒「がまだすドーム:雲仙岳災害記念館」から1時間程走ると、…

島原の乱最後の激戦地
「原城址」に着きます。

そもそもこの城は、徳川幕府の一国一城制度で解体されて石垣だけの廃城になっていた。
ところが、1637年に島原藩主の農民やキリシタンに対する過酷な弾圧に対し農民一揆、島原の乱が勃発したのである。この一揆は、島原半島のみならず天草にも飛び火し、島原城や富岡城が襲撃された。
しかし、一揆軍の城攻めは旨く行かず、やがて一揆の群衆は天草の一揆軍と合流し、小西行長の家臣の子孫と云われる天草四郎を総大将として廃城となっていたこの原城址に立て籠る。
幕府軍と三か月にも及ぶ壮絶な籠城戦を繰り広げたと云われているが、抵抗もむなしく兵糧も弾薬も尽きた籠城軍は徹底的に破壊され虐殺されたと云う。
一揆軍は、殉教を重んじるキリシタンの信仰ゆえに全員が喜んで死を受け入れ、斬殺されたといわれている。
殺された一揆軍3万7千人は、この地に埋められたとされているが、平成になってから発掘調査が開始され、破壊された城の残骸の中から人骨と同時に十字架やロザリオが多数発見されたという。

「原城址」を後にして、島原半島の周回道路251号線を時計回りにどんどん西に進むと、ルートはやがて北に向きを変え、賑やかな「小浜温泉」の温泉街へと辿り着きました。
昨日寄った「雲仙温泉」と共にその歴史は古く、お互いに競う様に頑張ってきたという。時間が有ればここの温泉も「湯めぐり」してみたい温泉地ですね。
橘湾沿いに景勝の島原街道をさらに進み、これから長崎半島の突端まで行ってみるつもりなんですが、地図を見ると東側の海岸線を行く県道34号は険しく狭いので、少々時間が掛かりそうです。
ここは長崎芒塚インターから長崎インターまで長崎自動車道を使い、長崎半島西側の国道499号線に出ようと思います。


PM15:30 薄曇り ⇒ これが長崎の「端島(通称軍艦島)」 と言われている炭鉱の島です。

どの辺りだか忘れてしまったが、長崎の町の外れにあるチャンポン屋さんで遅いお昼を食べながら、店員さんに国道499号線から見える「軍艦島」の景勝スポットを聞いてみると、「野母崎にある運動公園の少し手前辺りから良く見えるよ!」と、教えてくれました。
国道サイドの駐車帯で見た右の写真がその場所だと思うのですが、本当に軍艦みたいに見えますね。
多分名も無い夫婦岩が、景観の演出に花を添えてくれてます。
本当は、この辺りに一泊して軍艦島に渡るツアーに行きたいのですが、今回の旅ではスケジュールが合いません。

その後、上の写真の「軍艦島資料館」に行き、展望所からの素晴らしい眺めも堪能しましたので、今回はこれで満足してこの地の観光は終了する事にします。
なお、この施設の少し先に温泉もありますし、大きな運動公園の駐車場もありますので、車中泊する事も可能です。
明治から昭和初期まで石炭産業で栄えた人口の島、2015年に世界遺産に登録されたこの島についての生い立ちやその歴史をここで語っていると長くなりますので、詳しい情報が知りたい方は、軍艦島資料館のホームぺージをご参照下さい。


PM16:30 時々雨 ⇒ 次に訪ねたのは、東シナ海に突き出した長崎半島突端の島、「樺島」です。

せっかくここまで来たのだから、陸続きで行ける所までは行っておかないと悔いが残ります。
なので、もう少し先まで足を延ばして長崎半島突端の島「樺島」に渡ります。
「樺島」に渡る橋は、途中にある中島という小島を中継地点として高さを調整しながら島へ降りるという絶妙な設計の橋です。

港にいた地元の人に聞くと、先端に灯台があるが行けるのは軽自動車がせいぜいで、そんな車じゃ行くのは無理だという。
それじゃ〜歩いて行ける?と聞くと、「行けないことはないが、今から行ったんじゃ日が暮れて、帰り道は真っ暗になるし、灯台の他には何も無い!」そうだ。と言ったんだと思う。( ;∀;)


PM18:00 曇り ⇒ 本日の温泉は、「天然いさはや温泉:和SPA」です。

長崎半島突端の島「樺島」の観光?を終えると、もう17時を過ぎてしまいました。本日の観光はこれで終了する予定ですが、長崎周辺には道の駅やRVパークがありません。
少し遠いですが、明日も長崎観光ですから戻っても大した遠回りにはならないでしょう。長崎インターから諫早インターまで高速が使えますので、「道の駅:長崎街道鈴田峠」まで行こうと思います。

上の写真は道の駅ガイドブックに載っていた、近くのお勧めの温泉「天然いさはや温泉:和SPA」です。
先ずは、こちら!いい〜い温泉でした。100点!の ☆☆☆☆☆


PM19:00 雨 ⇒ 今夜のお宿は「道の駅:長崎街道鈴田峠」です。

また雨が降ってきました。トイレの直ぐ横に停められたので良かったですが、花菜の散歩が出来ないので困ります。
本日の走行距離は、高速道路を走ったので少し多めの 222キロでした。おつかれさま

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