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でっかい道!大いなる北海道!1988 くるま旅!

昭和63年7月29日 〜 8月15日 17泊18日

<< Camping-Car Touring Vol 7. 普代〜陸奥の旅〜そして帰宅 「終」 >>

⇒ フェリー航路〜八戸港 ⇒ 8月11日:種差海岸キャンプ場 (泊)
⇒ 久慈〜陸奥の太平洋側 ⇒ 8月12日:普代浜 (泊)
⇒ 田野畑村 ⇒ 田老町 ⇒ 陸中海岸 ⇒ 8月13日:宮古市 (泊)
⇒ 浄土ヶ浜 ⇒ 閉伊川渓谷 ⇒ 盛岡南 IC⇒ 8月14日:東北道蓮田 SA (泊)
⇒ 8月15日:なんとか全員、無事に帰宅することが出来ました。

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CAMP SCHEDULE
  ● 北海道、車旅メニュー!
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  Vol 7.八戸〜宮古〜帰宅「終」
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HOKKAIDO CAMP-TOURING REPORT vol.7


苫小牧フェリー埠頭 (いよいよ北海道を出発!)

夕べ、面白がって見物していたコンテナーの移動作業は、まさか?と思ったが!案の定!明け方まで続いていた。
コンテナーを船に積んだり下ろしたり、珍しい後ろ向きのトレーラー(後ろから押すタイプ)の熟練した運転技術に感心したり、その手際のよさに見とれていたのであったが、何とその作業は延々一晩中続いていたのだった。
その、やかましかったこと、うるさかったこと、寝不足の眠い目をこすりながら、AM09:30、やっとのことで北海道に (騒音!にも) 別れを告げることが出来た。
そして、いよいよ、会いたかった佐伯さんの待っていてくれる八戸港へと9時間の船旅が始まったのである。

本当は、お父さん船に弱いんだよ〜!

 
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8月11日 北海道に別れを告げ、八戸〜種差海岸(泊) HOME


青森から函館へ渡った時のフェリーの乗船時間は、4時間足らずです。
船に弱いことも忘れて?風呂に入ったり居眠りをしたりしてなんとなく時間を過ごすことができ、仲間のみんなも船酔いもなく、無事に船を降りることが出来たんですが、八戸まではその倍以上の9時間もかかるんです。
しかも真っ昼間である。昨夜は睡眠不足のはずなんだが、眠って行こうにも明るいし、変な横向きの揺れ方をするのでなかなか寝付かれない。
「そうだ!!風呂へ行こう!」 と思った。このフェリーのお風呂は立派な物で、大きさは函館に渡ったフェリーの3倍ぐらいの大きさがある。しかもプラスチック製だろうが一応ジャングル風呂風?になっている。
「へぇ〜!凄いじゃん!!」と、言ってみたもののこれが傑作な話だ。
いい気持ちで首までつかっていたはずの湯船のお湯が船の揺れに合わせてザーッと向こう側に移動する。
湯船が大きい分そのお湯の移動量もすごく大きい。つまり、船のゆれに合わせて首まであったお湯が全部向こう側にいってしまってなんにもなくなったかと思うと、逆にそれが全部こっち側に戻ってくると、溺れそうになる程深くなる。
「もう、入ってらんねー!」と、大笑いでお風呂から出てしまったが、温まったんだか何だかよく分からなかった。良く分かっているトラックドライバーの人達がさっさと入ってしまったのには、こういうことがあったからなんだね〜!と、後になって気が付いた。
そうこうしている内にそろそろフェリーは外洋に出たらしい。お天気も少々荒れ模様になってきた。出発してから3時間程はみんな思い出話しに花が咲いて楽しい船旅を満喫していたが、だんだんに船が揺れはじめてきた。
その内に気分の悪くなる人が一人二人と増えてきて、やがて船室の中はシーンと静まり返り、殆どの人が青い顔をして毛布をかぶって横になり始めてしまった。
我がファミリーも、私を含め全員がダウン寸前だった。だが、ふと横を見ると楽しそうに元気にトランプなんぞしているファミリーがいる。
山田ファミリーだ!
シーンと静まり返った船内で、何ともすごく揺れる船内で、船酔いなんか何処吹く風でその辺りだけが「アハハ!アハハ!」と盛り上がっているではないか、「何だ!この人達は?」と思ったが、そんな羨む元気も無い程気分が悪く八戸港に着いた頃は殆ど全員グロッキー状態でした。
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突然!「ボーー!ボーー!」と、霧笛の大きな音がすると、「そろそろ到着します。」というアナウンスあったので、「アー、やっと着いたか〜!」と、デッキに出てみることにした。
「ほら!あそこ!あそこにいる!いるよ〜!」埠頭で手を振って待っていてくれる佐伯さんのその懐かしく太い姿と、その緑色のキャンピングカーを発見すると、血の気が戻って来たのか?、みんなの顔色は良くなっていた。


8月11日 八戸港から、種差海岸キャンプ場 (泊)

約束通り桟橋で待っていてくれた佐伯ファミリーの懐かしい顔ぶれに、久し振りの本土の土に、船酔いから開放された嬉しさに、思わず感激の涙がこぼれ出てしまった。(チョット、大袈裟?)

やっとのことで、本土に着いた。

さて、いつまでも感激の対面に涙している訳にはいかない。
そろそろ7時になる。さあ!行くか!グズグズしていると暗くなってしまう。
気を取り直して早いとこ今夜のキャンプ地を探さなくてはいけない。
うす暗くなってきた八戸港から海岸沿いに国道45号線をしばらく走って行くと、辺りは本当にもう真っ暗になってしまった。
どこかキャンプが出来そうな良い場所はないものかと更に探しながら走って行くと、グットタイミングで「種差海岸キャンプ場」の看板が、みんなの目に飛び込んできた。
「助かったね〜!!」と、早速そこでキャンプインすることになったが、飛込みだった割には雰囲気はいい。霧笛の音が遠くに聞こえ、波の音も微かに聞こえるロマンチックな本土のキャンプ第一夜でした。
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8月12日 浄土ヶ浜〜陸奥の太平洋側〜普代浜(泊) HOME


種差海岸キャンプ場 (朝) 久慈へ

ずーっと一緒に旅をしてきた大倉ファミリーの奥さんとお姉ちゃんが、残念ながら日程の都合で今朝早く一足先に電車で帰りました。この後は、残ったメンバーで三陸海岸を後2日ぐらい楽しむ予定です。
北海道で「イマイチ?」であった海の幸や、おいしい牛肉を本場岩手で是非いただきたいと思いつつ、4台のキャンピングカーは、久慈の市内から国道45号線を南下し、あの思い出の地「普代浜」へと入って来ました。


8月12日 普代浜 (泊)

私達ファミリーは、この普代浜に 2〜3年の間に何度か来たことがあり、陸奥の自然を満喫したことが、まだ記憶に新しい。
今回のキャラバン隊のみんなにこの地へ来た当時の話をあれこれしていたが、チョット残念! だった。
陸奥の鄙びた漁村だった筈が、その美しい海岸を持っているが故だろうか2〜3年の間に随分変貌を遂げ完全に観光地化されてしまっている。
普代といえばグルメの人達の間では知る人ぞ知る所!、特に魚介類のおいしさ、新鮮さは今でも天下一品で、絶対お奨め!!の太鼓判を押します。
中でも「ここのウニは絶品!」で、夕食には我が倶楽部のコック長!佐伯さんにどうしてもとお願いをして色んな寿司を握ってもらった。
とれたてのナマコやサンマの寿司、刺し身、個人的にはホヤが美味かったが、こういうことが出来るのはキャンプならではで、言い方を変えればキャンプでしか出来ないでしょう!久し振りに新鮮な海の幸を思う存分味わう事が出来ました。誰です!涎を垂らしているのは?
ここ普代浜は、観光化されてしまったとはいえ、まだまだ素晴らしい所には違いありません。チャンスがあったら、いやチャンスを作っても!皆さん是非一度お出掛け下さい。そして、翌日のお腹 (実は食べ過ぎでピー・・) のことも考えてね?
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8月13日 普代〜陸奥の太平洋側〜宮古(泊) HOME


普代浜 (朝)

今日は、素晴らしい三陸海岸の朝から始まりましたが、昨日磯へ出掛けた我が倶楽部の太公望達の挑戦は「坊主!」でありました。
悔しくてならないのは少しは自信を持っていたお父さん達の釣りの未熟さを教えてくれるかのように、ここはまったく手付かずの自然の磯であるということ。
言い訳に聞こえるかもしれないが、この漁師町では趣味で釣りをする人はまったく見当たりません。
したがって、釣り餌を売っている店も無いので、その餌の調達を始め何から何まで考えて支度をしないといけない程、チョット専門的知識と技術がいる所です。腕に覚えのある皆さん、機会がありましたら是非挑戦してみて下さい。
しかし、釣れる事もあれば釣れないこともありますよね。でも、手付かずの磯で子供達と小魚を追ったり潜ったり、貝を採ったり、海老を採ったりと、とても楽しい時間を過ごすことが出来ました。


8月13日 田野畑村、田老町、陸中海岸国立公園、宮古市 (泊)

普代村から田野畑村、そして田老町から宮古の市内へと国道45号線をどんどん南下してくると、左側は延々と続く陸中海岸国立公園である。
宮古では佐伯さんのキャン友と打ち合わせどおり、落ち合うことが出来て地元ならではの素晴らしいキャンプ場に案内してもらうことが出来ました。
ここのキャンプ場からは10分も歩くと丁度手ごろな防波堤があって、そこはまるで釣堀か!と思うほど良く釣れる。

まるで我がクラブ専用の釣り場のようで、すいません。

普代浜では 「あんたら〜!本当に名人なのかい?」 と、不信を抱かれていたお父さん達の面目はどうやらここ宮古で保たれた様でありました。
そして、夕食のテーブルには沢山の海の幸、山の幸の差し入れまで頂き、とってもおいしかったです。
宮古の皆さん!どうもごちそう様でした。大変お世話になりました。
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8月14日 そして、帰路!東北自動車道:蓮田 S・A(泊) HOME


宮古(朝)から浄土ヶ浜

長いと思っていた17日間の夏休みも残すところ後一日となり、最後の日というのに今日は物凄いドシャ降りになってしまった。やはり、私は雨男だったのかも?知れない。
ドシャ降りの雨の中、傘をさしてはいるもののずぶ濡れになりながら浄土ヶ浜を見学に行った。駐車場に車を置いて急な坂を下って行くと、開けた景色の前方には誰かがうまいネーミングをしたものだ。
行ったことはないが “まさに極楽浄土の風景” が見えてきた。
ここ、浄土ヶ浜は素晴らしい海水浴場にもなっている。陸奥の夏は多分短いんでしょう?。この物凄いドシャ降りの中、何と平気で海水浴をしている人が・・・
それも1人2人じゃない、大勢の人が海に入ってキャッキャッと言っているのには驚いてしまった。
浄土ヶ浜の観光を終え、暫く雨宿りをして待っていたが、なかなか雨は上がりそうになく、駆け足で再び濡れながら車に戻ることにした。着替えをして、熱いお茶を一杯飲んだら、サー!いよいよ帰る。東京へ向けて出発!ダー!


閉伊川渓谷を抜け、東北道:盛岡南 I・Cへ

宮古の市内から新里村、川井村、北上高地超えの国道106号線は、新里村から盛岡間の閉伊川渓谷鉄道山田線と共に閉伊川の渓谷を行く閉伊川街道で、別名を宮古街道ともいう素晴らしい峠道のドライブコースになっている。
閉伊川に沿ってどんどん登って行くと、釣りキチおじさん達にはたまらない涎垂ポイントが、これでもかーこれでもかーと、次から次ぎへとやってくる。
・・・ここ!・・・また今度こよーねぇ〜!・・・(^_-)-☆
という事で、北上高地を南北に分断している閉伊川渓谷であるが、この辺りは切り立った断崖絶壁ではなく、穏やかで女性的な風景が延々と続く。
一生懸命走り続けてお昼を過ぎた頃に区界の峠付近に差し掛かかると、急に軽井沢のような賑やかな商店街に入ってきた。そのなかの一軒に素敵なレストランを見付けたので、昼食を兼ねて一休みしていこう!という事にした。
この辺りの名物!我が倶楽部の佐伯コック長お薦めの「岩手短角牛のステーキ」でスタミナを付け、一気に盛岡まで下って行くつもりだ。
峠のレストランを出発し1時間程走ると何日ぶりかであの懐かしくも無愛想なコンクリートの固まりである高速道路が見えてきた。
どうやら東北自動車道の盛岡南 I・C に着いたようで、ここから先はもう流れに乗って走るだけで目をつぶっていても東京まで連れてってくれる。
見慣れた高速道路が目に入った途端、随分長い距離を走ってきたということもあり?なんとなくだがもう我が家の近くに着いたような、安心した気分になってしまうから不思議だ。


8月14日 東北自動車道、蓮田 S・A (泊)

東北道に入るとすぐに花巻温泉がある。
我が家はチョッと寄って一風呂浴びていきたいと思っていたが、みなさん一刻も早く我が家へ!と心が急ぐらしく、温泉はあきらめてただひたすら走ることに専念したいらしい。
我も愛車も老体ながら文句も言わずによく頑張って走り続けてくれたが、PM 21:00 我が家を目の前にしてついに運転手の方が疲れ果てしまった。
山田ファミリーは「もう少し頑張って奥さんの実家まで行く!」って、別れていった。
佐伯ファミリーも「もう少し先まで行く!」と?何故か彼方へ消えていった。
我がファミリーと大倉ファミリーの2台は、無理をせず東北自動車道の蓮田 S・A にて停泊することに決めた。
「事故も無く、無事に帰れてよかった!よかった!」
「とにかくお疲れ様でした〜」と、二台になってしまったが最後の乾杯をして、明日ゆっくり帰ることにした。


8月15日 懐かしの我が家に帰宅

帰宅してから計算すると、どうやら1日平均約250キロ、延べ走行距離は4000キロ以上にも及ぶ、「大いなる北海道のキャンピングカーツーリング」 となりました。
何とか事故も無く、全員楽しく無事に帰ることができたのが、何よりですね・・・(^_-)-☆
みなさん、どうもお疲れ様でした。この長いレポートを読んでくれた人も!ね!

最後になりましたが、今回のツアー中に各キャンプ場や観光地でお世話になりました方々、無線の繋がった地元北海道のローカル各局、また、今回のキャンプや観光に対してのアドバイスや、貴重な情報を頂きました諸先輩方に心よりお礼申し上げます。

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